転職成功者インタビュー

株式会社フジワラテクノアート
砂田直明さん(仮名・開発) 29歳

大学の研究者から、機械メーカーへ。新たなチャレンジは何歳からでも遅くない!

砂田さんの以前のキャリアは、大学院で博士号を取得した後、教授のサポート役として働く博士研究員、通称「ポスドク」である。

もちろん給料は出るが、期間限定の任期制で、今のプロジェクトが終わった後に次の職場が見つかる保証はない。最大の目標は大学教授になることだが、そのポストも非常に限られている。任期切れの前に、砂田さんが今後の進路について悩んだのも当然のことだった。

そして決断したのが、企業への転職。社会経験の乏しさなどから「博士は企業に敬遠される」という噂も聞いていた。実際、転職活動を始めた当初はなかなか情報が集まらず、進展がなかったという。だがリージョナルキャリアを通じて「博士を求める企業」と出会い、転職に成功した。

今度の職場はメーカー。自分の研究とは異なる分野の仕事だが、新たなチャレンジを楽しんでいる砂田さんにお話をうかがった。

※本記事の内容は、2016年7月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで117日間

転職前

業種
大学
職種
研究職
業務内容
特任研究員(いわゆるポスドク)として植物の遺伝子の研究に従事。

転職後

業種
メーカー(機械設備)
職種
開発職
業務内容
開発部にて醸造用、食品用機械の開発に向けた試験業務。

将来を見据え、ポスドクとして働きながら転職活動をスタート。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

生産設備のメーカーであるフジワラテクノアートの技術開発部に所属しています。当社の主な取扱い製品は、味噌や醤油、日本酒、焼酎などを作る醸造用設備で、製麹分野では国内シェアの8割を占めています。

私はまだ経験が浅いので、原料の運搬やパーツの組み立て、洗浄、テストデータの取得などの補助的な業務を行いながら、学んでいます。

入社前のご経歴を教えてください。

大学院で2年間植物の研究をした後、農薬メーカーに就職し、農薬の効果の試験業務に携わっていました。しかし、自分の研究に『やり残したことがある』と感じ、半年で退職して、大学院の博士課程へ入学しました。

日本学術振興会の特別研究会に選ばれ、研究費と生活費をもらいながら、植物の種子生理学の研究を進めました。2年間の博士課程を経て、博士号を取得。その後、大学の研究室に博士研究員として着任し、いわゆるポスドク(ポスト・ドクター)として、教授の研究をサポートしていました。

転職のきっかけは?

ポスドクという立場は、任期が1年と決まっており、年度ごとの更新になります。更新されるか、あるいは他のポスドクの職が見つからなければ、無職になってしまう不安定な仕事です。私もそれまでは運よく大阪にいることができましたが、次の職場がどこの大学になるかもわからない。目標を定めることが難しい状況に置かれていました。

また、ポスドクの多くが教授をめざしていますが、実際には教授のポストはなかなか空きません。そこで自分の将来についてじっくり考え、企業でキャリアを築いていこうと決意しました。

転職活動はどのように進めましたか?

最初は大手の転職サイトや、研究員に特化した派遣会社に登録しました。バイオ関係の仕事で、勤務地は関西か、出身の岡山を希望していました。しかし求人情報は少なく、博士は社会経験がないため、会社から敬遠される傾向にあるという話も聞いていました。自分の研究が仕事と合致することもほぼないので、『やっぱりな』という感じでした。

そんななか、リージョナルキャリア岡山のサイトを見つけ、連絡をとりました。すると「ちょうど紹介したい案件があります」と、すぐに2社の面接を受けることができたのです。コンサルタントも「すごくタイミングいいですよ」と驚いていました(笑)。

今の会社に決めたポイントは?

1つは、自分は機械について詳しくないことを伝えたうえで、「生物系の知識を活かして活躍してほしい」と言ってもらったことです。もう1つは、「今後は海外への展開に力を入れていきたい」という話にも魅力を感じたことです。

メーカーが海外に進出する際、社内に博士がいると信用度が増すため、自分の博士号を活かせる可能性があります。また、狭く深い研究にとどまらず、もっと自分の幅を広げていくことで、これからの仕事で役立つスキルを身につけられそうだと感じたことも決め手となりました。

自分が面白いと思えば、やれる。自信をもってやれば、結果はついてくる。

転職していかがでしたか?

機械メーカーなので、素人の自分がすんなり入っていくのは、簡単ではなかったですね。用語も知らないことばかりで、毎日覚えることがたくさんあります。

仕事の内容もガラッと変わりました。以前は机に向かって調べものや文章を書くことが主でしたが、今は立ち仕事が多く、仕事道具もフラスコからレンチやスパナになりました(笑)。

でも、きつくはないですね。まわりにはバイオ出身の仲間もいて、私の今の状況を理解してサポートしてくれます。自分も頑張っていれば成長できるという安心感があります。

また、研究室時代とは違うタイプの人々が働いている環境ですが、みんな気さくに話しかけてくれるので、不安も解消されました。いつも「こうすればいいよ」とアドバイスをもらいながら、仕事に取り組んでいます。

生活面での変化はありますか?

今は10年ぶりに実家に戻って暮らしています。おかげで栄養バランスのいい食事をとれるようになりました。以前は不規則な生活で、研究室に泊まることも珍しくありませんでした。しかし今では、19時には仕事が終わり、家に帰れば夕食があります。ずいぶん規則正しい生活が送れるようになりました。

週末は地元の友人と遊んだり、大阪と岡山は意外と近いので、大阪の友人に会ったりもしています。岡山も、自分が高校生の頃より都会になっています(笑)。もちろん大阪ほどではありませんが、ほとんどの店舗は岡山にもあるのではないでしょうか。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私の場合、畑違いの転職を決断しましたが、自分が面白いと思うことができ、また会社から求められているのなら、自信を持って新しい分野にチャレンジしてみたらいいと思います。

もちろん最初は苦労するでしょうが、いつか結果が出せると信じて、乗ってみるのもいいのではないでしょうか。やり直しは何回でもできると、私は思っています。これは、研究室時代に学んだことです。研究の世界では、50代、60代の研究者がどんどん新しいことをやっています。だから私は、何歳からでもチャレンジはできると信じています。

関連情報

求人情報

TOPインタビュー

転職成功者インタビュー一覧

ページトップへ戻る