リージョナルキャリアで転職し、現在岡山で活躍している方をご紹介します。
Vol.176【岡山】株式会社両備システムズ 水野祐介さん(仮名) 33歳
東京でSEとして就職した岡山出身の水野祐介さん(仮名)にとって、その就職はゴールではなかった。知的財産権のスペシャリストである弁理士の仕事に惹かれ、システム開発の仕事とも密接に関わる知財の勉強に時間を費やした。やがて職場でも知的財産法の知識が認められて法務関係の部署に配属され、難関の弁理士試験にも合格。傍目には順調にキャリアを築いているように見えたが、大企業系列のICT企業で思うように自分の力を発揮できないもどかしさを感じてもいたという。そんな水野さんが「転職」を決断したのは、私生活の変化だった。第一子が生まれた頃から考えていたUターンが、第二子の誕生で現実味を帯びたのである。「自然の多い広々とした環境で子どもたちを育てたいが、やりたい仕事を諦めたくはない」岡山に知財関係の専門性を活かせる職場があるのか、不安を抱えながら始まった水野さんの転職活動は、意外なほどに早く実を結んだ。
Vol.124【岡山】株式会社フジワラテクノアート 砂田直明さん(仮名)29歳
砂田直明さん(仮名)の以前のキャリアは、「ポスドク」。ポスト・ドクターの略で、大学院で博士号を取得した後、教授のサポート役として働く「博士研究員」のことをいう。もちろん給料は出るが、期間限定の任期制。今のプロジェクトが終わった後に、次の職場が見つかる保証はない。最大の目標は大学教授になることだが、そのポストも非常に限られている...任期切れの前に、砂田さんが今後の進路について悩んだのも当然のことだった。そして決断したのが、企業への転職。年齢の高さと社会経験の乏しさから「博士は企業に嫌厭される」という噂も聞いていた。実際、転職活動を始めた当初は募集の話がなかなか集まらず、進展がなかったという。だがリージョナルキャリアを通じて「博士を求める企業」と出会い、転職に成功した。今度の職場はメーカー。自分の研究とは異なる分野の仕事だが、新たなチャレンジを楽しんでいる砂田さんにお話をうかがった。
Vol.96【岡山】ローム・ワコー株式会社 長谷川孝俊さん(仮名) 43歳
約20年間、地元を離れ先端技術を駆使したソフトウェア開発に携わっていた長谷川孝俊さん(仮名)。エンジニアとしての経験を積み、マネジメント職に就き、オフショア開発で中国・韓国のパートナー企業との協業開発も経験。多忙な毎日の中で最終的に思い描いた生き方とは、エンジニア経験を活かしながらも自分らしい豊かで楽しい生活。現在は地元に戻り、半導体製造ラインの改善のための社内SEとして新しいエンジニア生活をスタートさせた。規律正しい生活の中から、精神的な安息を手に入れ、趣味も楽しむ長谷川さんの転職への決断と行動力を参考にしてほしい。
Vol.78【岡山】株式会社ジョア 上野修二さん(仮名)27歳
上野修司さん(仮名)は、エンジニアから営業への転職に成功したリージョナルヒーローだ。岡山の大学院を卒業した後、大阪にある大手複合機メーカーに就職するも本来の希望ではなかった品質保証業務につき、自身のキャリアに不安を感じていた。また岡山に残してきた母と彼女のことも気がかりだった。「行動を起こすなら、早いほうがいい」と考えた上野さんは、入社3年目にUターンを決断。岡山での転職活動を始めた。当然エンジニアとして転職を検討していたが「ライフサイズ」のキャリアコンサルタントからの提案は意外なものだった。紹介されたのは、女性用オフィスウェアのメーカー。しかも職種は営業。はじめは戸惑ったが、洋服が好きで人と話すのも好き、そんな自分を理解したうえでの提案だった。「おかげで毎日が楽しくなった」と笑顔で話す上野さんに、体験談をうかがってみた。
Vol.77【岡山】株式会社リゾーム 田中伸行さん(仮名)41歳
田中伸行さん(仮名)は、現在ITエンジニア。だが、キャリアのスタートは、紳士服の販売員だった。エンジニアにあこがれて、30歳のときに東京のIT企業へ転職。その後、岡山のIT企業やケーブルテレビ局を経て、今回41歳で4度目の転職に成功した。一貫していたのは、「自分がやりたい仕事にチャレンジしたい!」という強い思い。今回の転職も、今急速に普及している「クラウド技術」に携わる仕事がしたかったからだという。かつてはいろいろな転職サイトを活用したが、岡山県内での転職にこだわっていた今回は「リージョナルキャリア岡山」のみに登録。コンサルタントに自分の思いを話したところ、まさに希望通りの求人が出たところだったという。「引っ越しもせずに、希望の仕事ができるなんてラッキーでした(笑)。これも、地元の案件を豊富に持っているリージョナルキャリアならではだと思う」と、田中さんは笑顔で体験談を語ってくれた。
Vol.65【岡山】ナガオ株式会社 小山修二さん(仮名)44歳
転勤の辞令が出た時、子どもをそのまま今の学校に通わせてあげたい、そう考え単身赴任を選択することも珍しくない。小山修二さん(仮名)もその1人だったが、東京での単身赴任生活は10年間も続いていた。気がつけば、長男は大学生。自分は44歳に。仕事は楽しかったが、その一方で失ってきた時間の重さが徐々に身に染みてきた。「長男の中学、高校時代を、私は知りません。気がついたら、大きくなっていたという感じ。購入したマイホームにも、ほとんど住んでいません(苦笑)」。いつまで単身赴任生活が続くのか?自分は何のために、働いているのか?そう自問自答した小山さんの答えは、「家族で過ごす時間を大事にしたい」ということだった。岡山に転職したことで、帰宅時間も早くなったと喜ぶ小山さん。今は妻の手料理とともに、家族と食卓を囲む当たり前の幸せを、毎日かみしめている。
Vol.50【岡山】倉敷化工株式会社 林誠一郎さん(仮名)30歳
林誠一郎さん(仮名)は、神奈川から岡山への転職に成功したリージョナルヒーローだ。岡山は奥さんの地元。子どもの誕生を機に、地方転職を真剣に考えるようになった。「岡山に帰りたい」という奥さんの願いもあるが、林さん自身も都会の子育てに違和感があり、転職を決意した。また一方で、岡山に自分にマッチした仕事があるのかという不安もあった。林さんが勤めていた会社は、自動車メーカー。誰もがうらやむ大企業だったが、マネジメント業務が増え、本当に自身の技術力が高まっているのか疑問に感じていた。エンジニアとしてレベルアップしていくために、開発業務により携わることのできる環境も求めた。今回の転職でエンジニアとしてのやりがいを手にし、奥さんには明るい笑顔が戻ったという。「今回の転職で、仕事も家庭も、いい方向にむかっていると思う」と話す林さんに、詳しいお話をうかがってみた。
Vol.29【岡山】株式会社ザグザグ 小山直樹さん(仮名)27歳
小山直樹さん(仮名)は、岡山県への転職を成功させたリージョナルヒーローだ。大手医薬品メーカーのMRとして活躍していたものの、5年目で転職を決意。次に選んだのは、東京のベンチャー企業。大手とは180度違う裁量の大きさや責任の重さは刺激的だったが、1年たった頃、「父親が入院」という知らせが届く。「両親のために、地元に帰りたい。でも、やりがいや生活水準は大幅に下げたくない。もしかしたら岡山へのUターンは難しいのかもしれない」。そう考えていた小山さんの背中を押したのが、ライフサイズからの紹介だった。地方企業、しかも介護事業という未経験の分野で今、生き生きと働いている小山さんにお話をうかがった。